というか映画の中のすべての細部にすごく注意を払ってる気がする。たとえば、なぜこのシーンの服の色が白なのかとか、そこにもちゃんと意味があるってこと。すべてではないだろうけど・・・
この映画のことを知った本を見ている途中に読み返してネタバレを食らってしまった。でも、ぼーっと見ていたから冒頭のこともよくわからなかった。結末も本には書いてなかった。はじめてみる人に考慮していたのかな・・・
スタンリークワン監督だってトー監督のようにずっと在香港で広東語でその後、活動はしてなさそうだし、そこを問い詰めてもどうしようもない展開でここまで来ている。
だれが悪いってわけじゃない、ほかのさまざまな要素をあって、複合的にどうにもならなかったと思ってる。
最初はこのありさまを知って、ショックだった、今は最後まで残ってしがみついてくれる人を探して何になるって思ってしまう。
9/15
建軍大業のことをまた調べていたら、毛沢東役でランユーの俳優さんって出てるって。驚きの情報を得た。この映画に出て、毛沢東、よく演じられるなあと思う。監督はアンドリューラウだし、最初はこっちにびっくりしていたけど・・・だからあまり今は?って大いに期待して調べない方がいい。すべてを破壊されてしまう。
9/16
編集担当の人がウォン・カーワイと組んでた人なんで、それっぽく見えていたのかな?
原作を読めばもっと政治的なことがわかるかなと思った。中古しかなかった。読むことにした。作者は中国本土在住の人なのかな?ネットで規制を受けなかったのかな?なぜにあの時代にした?など疑問もある。ネットで調べたらわかることだろうけど・・・
9/17
89年も98年も相当、昔に思えるけど、香港返還が97年の1年後。
昔の中国ってほどじゃないのになー
98年でよくありがちな企業のお金絡みの不正で死刑になるのか?なりそうだった。
89年は平成元年で。バブルが終わったころ?
私の中国映画のイメージはチェンカイコー、チャン・イーモウ?だったかな。それらで、素朴でなんとかって。固定観念がずっとあった。あまりそういうの興味を持てなかった。更新されてないのか・・・
1元は15円(2019)およそ15倍すればいい。
300万元って4500万円ぐらい。あってるよね。一軒家の売却額とか考えたら。
最初の方の1000元は15000円かな。
9/19
原作を読んでみた
冒頭からネットでしった続編だった。
日本語訳だとリアリティーが薄くなると思った。
あまり知らなかった現地の事情とかも知った。
ランユーってお金に媚びないねーと映画を見て思ったのは原作通りだった。
その理由は実家のことが絡んでいるみたい。具体的なエピソードも出ていた。国の政策も影響している。プレゼントをもらいたくない理由とかも関係する。映画ではなんとなくわかるレベルだった。お金に関する価値観。具体的なエピソードは語られない。
映画で採用してない細かいエピソードはいろいろあった。
連ドラにするとぜんぶ、採用するんだろうなあ。
映画で気になったところ
ずっと気になっていた藍は名字らしい。
天安門のことも原作にあった。問題の動乱って言葉もちゃんと使ってあった。
華流エンタメも流行っているのに中国本土のドラマも映画もほぼ見ないから、すべてが目新しかったかも。
三国志を読むぐらい。
実家に正月に連れて行くってわりとすごいことだけど、すごいことであることを知らなければ、あまり伝わらないエピソード。その辺の葛藤?もわりと書いてあった。
90年代までの中国の人って素朴だとかまたもやずっと思っていた。
日中友好、文化交流とか商業エンタメが入ってこないレベルの時代。
市場経済を導入した時点で変わっていたのかなー
映画と違うところ
原作では
一軒家は外観も北欧
結婚した女性、英語の通訳
私には日本の郊外の家に見えてしまった。屋根とか・・・
原作の特色
エピソードがほんとうに多種多様だった。でも、この手の本にありがちな要素はぜんぶ、詰め込んだ風にも見えた。各要素のつながりのなさを映画はぜんぶ、つなげて見せた?
どこの誰?
わからなかった。台湾の人なのかな??
キリスト教
今までのことを考えると、かなり反省しているようで、いいことだと思うけど、別に結婚とは関係ないと思った。それにキリスト教は
同性愛って容認してないかな?(今はだいたいのグループが容認しているようだ)
ここもよくわからない。ここを映画は変えていることを知った!神様の救済を採用しなかった。自力で乗り越えるにした(ように見えた)。
でも原作で結婚した!、キリスト教だ!と言っても心の中は未練しかないみたいに書いてあった。この原作は主語が1人称の私小説(回想録)
結婚した女性をキリスト教の何かに例えていたけど、そのときは改宗したまでは明らかでなかったな。
結婚なんでするのって思うけど、欧米の映画的にはフツーに受け入れられそうな気がする。そんな映画を見た。フランスなら当然、アリだろうとか・・・ロランス~は結婚して子どももいた、ロランスにも彼女いた。このレベルの気持ちを普通でありって思ったら乗り越えられる。
でも原作のハントンの結婚後の藍宇の方の交友関係がわりといろいろ書いてあったのが受け入れられなかった。だれともつき合わずに、一人でいて、一途に思っていてほしいとか強く思う。
要するにハントンの嫉妬を描きたかったのかも。
立場逆転。相手の気持ちを考えずに勝手な暴挙を行った報い?因果応報。
そんな強いメッセージ性は描かれてはなかったけど。
変わらないでいてほしいはエゴすぎる。調子よすぎ。でも、そう願ってしまう愚かさ。
このひとしかいないのになぜほかのひとに愛情が向けられるのかの謎は、そうしないとやってられないからって思ったりするね。
恋愛とは関係ないけど、銀魂が終わって、バッドエンドして、3ヶ月。別の何かに夢中になってないとやってられない気持ちでいる。
映画で疑問に思っていた藍宇は日本人に見えるは性格かな?真面目、あまり自分の考えていることを言わないとか。無目的に貯金する。浪費しないとか。
ステレオタイプに見たら外からそう見える時代もあったはず。たしか・・・
比喩。それでどういう効果?かっこいい、イケメンだとかよく使われるけど、そうじゃない表現なんで、固定イメージ以外の何かを想像してしまう。
9/21
離婚後の再会のパートのラストはハントンの表情に誠意が見えなかったけど、よく見ると、涙目だったのかなと昨日、見返して思った。私は、この人を疑いの目でずっと見ていたから、なんかいいひとなのか、そうでないのかとか。ゲス野郎みたいなところもあるよね。
最初に言わなかったり、わざわざ聞いたり(許可)は勝手な自分だったために、迷っていたとか、言い出せないとか、いろいろな気持ちが考えられる。ランユーは裏腹にますますそっけない素振りだったね。
そういうのを見せたいシーンだったのかな?
ゲス・原作では特にそうだった!
それでも改心してからの本人回想だから、悔恨の意味でそんなゲスな部分をありのままに赤裸々につづっていたのだろうか?
窓が映し出されるシーン
時間の経過の演出。ジャンプカットっていうのかな?
なぜいいなと思ったのか?いきなり清い印象が画面にキラキラと現れる。なので意表を突かれる。なので、いいなと思った。
清い:けがれがない。さわやかだ。きれいだ。