1984年に返還が決まってた。
1989年天安門事件。
香港映画の衰退の歴史まとめ。
最近、集めた情報からもう一度、まとめ直す。
実は全盛期は80年代。もう90年代は返還前夜な不安定な7年だったらしい。
【経済的な理由・返還後】
98年、返還直後の経済危機、疫病の流行(2000年代前半)
自前の資金調達できなくなった
↓
合作以外で作れなくなる
(検閲ほか、諸問題も発生、自由度は低くなる)
2000年代~
そもそもの香港の視聴者、観客は海外の映画やエンタメに関心が移る(タイ、韓国、日本とか)
これは輸出先がなくなることとも意味する。市場が狭まる。
結果的に・・・
観客も減って、映画で収益を出すには中国の巨大市場がないとやってけない状態に陥ったのか?
【検閲】
中国国内の映画のような検閲制度は結局、施行されなかったけど、いろいろな要因で合作でしか作れない状況に陥った。表現の自由がなくなった。
【ポイント】
中国政府が直接的に何かしたわけじゃない。広東語を使うなと言ったわけでもない。外的要因、間接的なさまざまな理由で、一時的に生まれ、世界でも注目を集めた香港独自?の映画文化は破壊されてしまった。そして誰も気づかない。公然と行われた。
【考察】
中国政府にとっては都合がいいと思う。自らの手を汚してイメージも損ねてはいない。地方の文化が発展して、のちに政治的に対抗する勢力になるかもだし、本当に都合がいい。香港映画側にとっても大陸で成功すれば地位も名誉もお金も手に入る。Win-Win。
【復活】
要するに復活できたらいいなと思う。それには中国大陸規模の市場の確保、中国に頼らない独自での資金調達の実現。
【しかし】
デモ関連のツイートを眺めているともうだめだなあとがっかり感でいっぱい。
どっちにどこへ宇宙に転んでも映画の復活なんて・・・
ツイッターで言われていること。誰が背後にいるかも全部、映画にすればすごい大作ができそう。もうこれらはこっそり隠れて言われていることじゃない。公共の場で鍵もかけずに、おしゃべりされている。中国大陸のネット工作とかも。
2019年10月13日追加
97年以降
資金面の危機
経済の停滞で香港を舞台にした映画は作れなくなった。
映画人が大陸に行った理由
人それぞれ。向こうでアメリカンドリームを目指したり、偶然、そうなった人やそうせざるを得ないとかさまざま。最終的に9割、合作しか作れないになった。
置き去りの香港地元の観客はどうなった?
一概に地元の人間だからっていつも地元の映画ばかりをみたいニーズは少ないかも。
折しも、ちょうど韓流ブームが来てたり、日本のエンタメを見ることが多くなった。
⇒ 地元のコラムによると、だから香港もあんな風になったらいいと書いてあった。
デモ参加者もインタビューでアニメで日本語覚えたと複数、言っていた。
疑問
合作は香港の市民にはどう受容されたのか?
(レスリーの覇王別姫時代は抵抗感があったと書いてあった)