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香港映画

香港映画についてのブログです。

藍宇の感想3 とメイキングの感想

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藍宇の感想3 とメイキングの感想

10/4
思ってもみなかった。
何回か見た。
あんな近くで見ているんだなーとそこらへんに感激した。
やっぱりいいよなーモノづくりっていう感動だった。
ウォン・カーワァイはリハもなんもないって書いてあった。
頭で役者が役を理解していればいいんだって。



天安門の部分は興味深かった。本編で採用したのはほんのちょっとだったんだってことを知る。
彼らはなんて思って演じていたんだろう。
結果的に2019年、現在、宿命のまま生きてそう。この映画で運命は変わらず。
中国で生まれて、ずっとその土地で生きるってもはやその時代に生まれた人の宿命に思える。
国外に住めばちょっと違うのかな??



10/6

日本ってワード
藍宇という映画はやっぱりこれが大きかったな。
広東語も香港も皆無、香港映画が変わったことに違和感を持つ私、拒絶してもおかしくなかった。




調べた結果、この年代以降はほぼ、こういうタイプが増えていくであろう初期作品。かろうじて、エンドロールやクレジットが繁体字だっただけにすぎなかった。これらも今では簡体字が主流らしい。


トー監督の映画でも日本ネタはよく使ってた。2作品は否定的な意味合いがあった。そう受け取る人も出てしまっても弁解できないレベル。とくにきれいな描き方でなくて、風景とかも見たまんま。外国用のカレンダーの写真みたいではなかったなあ。


日本というキーワードは藍宇って人の魅力の一部になっている。なってしまってる。私は勘違いしていたけど、一貫して日本人っぽいは貫徹してたと思う。日本、日本って言っておきながら、結局、アメリカに行くんだと一抹のさびしさを思ったりもした。でも、ここは違っていて、日本人ならアメリカにバカみたいにあこがれることを思い出せば、貫徹しているとわかる。



外から見た日本のよいイメージ?を採用していたのかもしれない。ありがちな典型的なものとかでもないし、細かいからわかりづらい。
日本人になればいいってまで言ってるのがすごいびっくりだったんだなあ。私には。



私はあまり外国の人の日本がすばらしいみたいに言うのが苦手。うわべだけしか見てない気がする。
1ヶ月でここまで言語化できて、この考えにたどり着けた。先月はうまく書けなかった。





10/7


新年のシーン(チェックのシャツのくだり)がランボーのAubeみたいだなって思った。
同じモチーフを繰り返しているところが詩っぽいって思ったいたらなんかランボーのAubeみたいだなと詩集をめくってみた。
少し違うけど、だいたい似てる。正午だったとか時間なども。隠れたりしてるところも。


この詩もさっぱり意味がわからなかったけど、ドラマにするとこんな風になるのか!みたいに思った。下敷きにしているとかは不明だし、あくまで私の妄想。Aubeって永遠に比べたら超マイナーと思うけど・・・
映画の世界でランボーはゴダールで有名。
永遠の一節を引用したとかで。昔の人はよく知ってるはず。(67年に「中国女」を制作(中国のこと)
この手の話ではランボー、やはり必要不可欠。
生を変える、世界を変える。新しい愛の形の探索。永遠を見つけること。
ランボーはキリスト教は異性愛もひっくるめての敵とみなしてた。だから原作、疑問に思った。



この映画では上記のことにチャレンジできる舞台(環境)だった。
あまりチャレンジに主体性は感じられなかったけど・・・自覚もとくに・・・
でも結果的にこの映画は永遠を永遠に失うって感じになった。
牢獄のような街で生きていく決意してエンド(私の勝手な解釈では・・・)
10/8
原作のラスト
なぜなのか日本などは自由の象徴みたいになっている。中国も(それっぽい)。
ラテンアメリカなどとは違う(地元の文化を破壊した邪教)
ヨーロッパがキリスト教は要らないって思い始めたころに日本などに本格的に伝播してきた。真逆の歴史がはじまる。
そういう地域によって違う受容の歴史を表しているのかもしれない。


10/9
月曜日の歴代歌王はやっぱり90年代が上位を占めた。1990年とか数字が気になった。能天気だなって。どんなときもとか。
10/10
デモのことを調べていて


警察や香港政府を支持する側の色がなぜか藍色
黄色は香港デモ側。
原作者の人がおそらく自由の象徴の意味でつけた藍という色な筈だと思うけど、鮮やかに裏切ってるよなあ。赤色にすればいいのに。
黄色、どこも同じ。カタルーニャ、フランス。


10/11
藍って日本だけが"あい"って読む。
原作者の人はなんで日本とか持ち出したのだろう。
大陸の人らしい。


10/12
映画は冒頭とラストは原作と違う。シチュエーションは同じ。やっぱりあれかな、原作はあんまりすぎるからとキリスト教が懐疑的に思えるからかな。
モノローグもぴったりはまってる。去っただけとか。これも途中での伏線があって・・・



メイキングによると、22歳の途中で別れて3年+3年 =6年目あたりで再会でまたもピンチだったのかな。


キリスト教に無知な人には救いに見えるただそれだけかもしれない。
詳しく知っている人は敵に思える。ハントンはそんなものに助けを求めるしか術がなかったって形でこれもまた置かれている環境を露呈させる行動となる。






10/21
メイキング感想
まだ終わってない気がするというコメント(誰の声?)
例えば、とある映画を見て、勇気をもらった、頑張れそう!みたいなメッセージは皆無。
喪失感だけが残る気がする。いくら見返してもやっぱり何も得られない。
終わってない、終わるも何もと思ってしまう。
胡軍インタビュー
私とは違う取り方。エンディング。それでもいいけど、私は取り残された人のその後と捉えてしまった。



ハントンってキャラは差異がわかりづらい。変化がわかりづらいキャラクター。原作もそうだけど、ランボーに例えるなら、ランボーにはまったくたどり着けないような次元の話。きっかけさえも持ってない。それが彼らの生きる環境とすごくマッチしている。
インタビューを聞くと私と何も変わらない人に見えるけど、生きてる環境が違うし、いざというときに同じ側に立てないのだなあと思う。

インタビューにしても変だよね、中国国内では上映許可も下りてない。摩訶不思議。やっぱり天安門の話を知りたいけど、インタビューの人もそんなのは聞いてない。うまく言葉を選んでるのかな?それとも・・・
なぜなのか今はレスリーのことをもう一度と思って本を読んだりしてる。「藍宇」という映画はは数年後のレスリーのことを暗示してるようにも思える。藍宇はレスリーのことでもあるなあ。絶対につかめない所有し得ない永遠。ランボーでもある。






10/31
赤のチェックは着なかったのは中国を意味してるからだろう。赤は他にも出てきたけど、オープンでないときが多いし、中国を意味する旧正月。
ハントンは中国を具現化してるから赤いマフラー。


青ってやっぱり自由を意味するらしい。台湾の国旗。
自分で選んだのが青って最後はなってた。


赤の方が絶対におしゃれなのに着なかったのが控えめな性格だからと思ってた。日本人っぽいのもそうだし。でも、色は他にもきちんと意味を持たせてある。


台湾の戒厳令って87年までだったらしい。台湾って大陸でどんなふうに受容されたのかな。原作では髪型がとかあった。音楽が普通に今みたいに大陸で知られることってあったんだろうか?
映画では日本の歌も香港経由で入手ってなっていた。あの台湾の歌はラジオで流れていたわけじゃないのかな・・・













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